2024
湯道文化賞とは・・・
日本の入浴文化の保存・振興、そして、日常の入浴行為を
「文化」へと昇華させることを目的とした表彰制度。
2022年に創設。
文化賞
特別賞
工芸賞
創造賞
貢献賞
入浴を「文化」へ昇華するために、特に輝かしい功績を遺した個人・団体。
2024

<概要>
群馬県草津町の日本を代表する温泉。自然湧出量は日本一を誇り、国内でも有数の酸性度を誇る湯が特徴。温泉の成分である湯の花の採取や湯温調節を行う施設「湯畑」や、泉質を変えることなく源泉を適温にする「湯もみ」など独自の文化が今も多く残っている。
<選考理由>
温泉を軸としたまちづくりを自治体、旅館、共同浴場などのさまざまな組織が連携しながら戦略的に行っている。その成果として昨年、新たな玄関口となる「温泉門」を完成させ、周辺には足湯や無料駐車場も整備した。その結果、付近の渋滞緩和や温泉街の周遊を促すなど、湯と共存するまちづくりのお手本となっている。ほかにも、2022年には源泉にコロナウイルスの感染力を抑える効果があることを大学と連携して研究、手洗い湯を作るなど、時代に合わせた温泉の価値を常に考え、行動し続けている。
2023


<概要>
山口県で最も古い歴史を持つ長門湯本温泉は、応永34年(1427年)、
大寧寺の定庵殊禅禅師が住吉大明神からのおつげによって発見した「神授の湯」と伝えられる。
江戸時代には藩主も湯治に訪れ、浴室内に温泉神像を拝し、「恩湯」と呼称されたことからも、
人々の中に尊敬と感謝の心が受け継がれてきた湯であることが伺える。
施設の老朽化と利用客の減少により2017年5月に公設公営での営業を終了。
その後地域の若手たちが「長門湯守」を結成。2023年3月に再建した。
<受賞者コメント>
(長門湯本温泉 恩湯 大谷 和弘氏)
施設の老朽化や利用客の減少により2017年に公設公営での「恩湯」の営業は終了。
そこで「我々の手で地域の温泉を守っていこう!」と決意をしました。
そんななか、岩田方丈、鳴瀬宮司にご支援いただき、
このエリアで培われてきた歴史、文化、自然、物語、足元から「場所」を見つめ直し、
新しい恩湯の理念を元にこの事業をスタートいたしました。
また、理念を実現するにあたり、設計事務所岡昇平さんには、多大なるご尽力をいただきました。
これからも「温泉」というかけがえのない長門湯本の文化資本を地域や行政の皆様、
そして仲間とともに大切に守っていきたいと思います。
(長門湯本温泉 大寧寺方丈 岩田 啓靖氏)
大谷和弘さんのような若い担い手と下関市住吉神社の宮司さんと友情をわかちあって、
この場に立っているのは不思議な気持ちがいたします。
いろんな偶然が重なりましてこの喜びを共有しています。
(長門國一宮 住吉神社 宮司 鳴瀬 道生氏)
室町中期、当社の神様は、大寧寺の第三世住職・定庵殊禅に説法を受けに毎夜毎夜、
寺まで飛んで行き、その感謝の証として温泉の湧く場所を教えたと伝えられております。
それから600有余年、「恩湯」の名称が語り継がれている。
このことに価値があると、私は考えておりまして表彰式に出席をさせていただきました。
<講評>
(審査員:柏井 壽氏)
「恩湯」この字が全てを表していると思っております。私たちはつい源泉がどうか、
温度は何度か、泉質はどうかということばかり気にしてしまいますが、
本来、湯というものは神の恵みであり、地球から預かっているものだという認識をつい忘れがちです。
神様、仏様、そして我々人間が三位一体となって、この湯を大切に育てていく。
湯道が一番大事にしている湯はありがたいものだと、
はっきり思い出させてくれた「恩湯」を大切に育てている皆さんのお力だと思い、
文化賞を授与させていただきます。
2022

<プロフィール>
1934年生まれ。東宝撮影所で助監督を務めた後、帰郷。
映画祭や牛喰い絶叫大会などユニークな取り組みを仕掛け、由布院のまちづくりを長くけん引。
亀の井別荘社長を経て、現在亀の井別荘相談役。
湯布院町商工会長や由布院温泉観光協会会長を歴任。
<受賞者コメント>
(代理出席:亀の井別荘4代目 中谷 太郎氏)
昭和40年代のはじめ頃、湯布院町はなにもない村でした。
そこに、薫平さんや父、皆がガムシャラに文化をつくってきた姿を近くで見てきました。
あれから50年近く経ち、多くのお客様にお越しいただけるようになり、こうして賞までいただけて感無量です。
私の使命は、由布院を大事に受け継ぎ、さらに喜んでいただける場所に仕立て、次の代に渡すことだと思っています。
いただいたお言葉と賞を持ち帰り、今後の繁盛・発展に向けて努力いたします。


<プロフィール>
1933年、大分県九重町生まれ。
日田市立博物館勤務を経て、66年「玉の湯」旅館経営に参加。玉の湯社長を経て、現在代表取締役会長。
長年にわたる由布院のまちづくり運動に対し、02年国土交通省の「観光カリスマ」に選出されたほか、
82年のサントリー地域文化賞をはじめ数多くの賞を受賞。05年旭日小綬章受章。
<受賞者コメント>
(代理出席:由布院 玉の湯代表取締役社長 桑野 和泉氏)
豊かな環境を保ち、皆さんを温かくお迎えしたいという想いで、健太郎さん、父たちはずっと走ってきました。
自分たち住民だけではなく、訪れる人たちも一緒になって作っていく・・・
それがここならではの文化に繋がっているのだと思っています。
また、今回の受賞によって、「次の世代へ『湯道』の精神を伝えていく」、という使命感をいただきました。
「湯道」の考え方や想いは、日本が世界に誇れることだと思います。これから海外のお客様も増える中で、
日本の良さをより実感していただくためにも「湯道」の精神を伝えながら、皆様をお迎えしたいです。
<審査員 講評>
(審査員:柏井 壽氏)
かつて、温泉は大型温泉旅館などの享楽的な施設が主流でした。
そんななか、中谷健太郎さん・溝口薫平さんは、由布院を「文化の香り」がする独特の温泉地に作り上げ、
今日の日本における、情緒あふれる温泉宿文化の礎を築かれました。
さらには、現在も後継者を育て、その文化を紡ぎ続けていらっしゃいます。
入浴文化の発展・継続を支えてきた個人・団体。
2024

<概要>
1942年創業。各種野外支援機器を多く取り扱う専門商社。1971年から「野外入浴セット」用の「オイル湯沸器」を納入開始。1tトレーラ上にボイラーを搭載し、浴槽やシャワースタンドへ湯・水を供給することにより、軽易に入浴することを可能にした。現在、自衛隊の国内外の派遣先で活用されている。
<選考理由>
自衛隊の入浴支援用設備を製造している伸誠商事株式会社。この設備の開発努力により、被災地などへの入浴援助を約50年にわたって続けることができている。野外入浴セットは、2024年1月の能登半島沖地震においても導入され、不安な気持ちを抱えている多くの人々の心と体を癒やした。湯を沸かし、浸かることのできる入浴機能を装備した特殊車両が存在するのは、世界で唯一日本だけ。改めて、お風呂の力を再認識するきっかけを提供した。
2023

<概要>
奈良時代に開湯したという、1250年以上の歴史ある温泉。怪我や病気の療養の場、
半ば医療機関のような役目も担ってきた湯治場である。
江戸時代には湯守が存在し、佐渡から湯治客が来ていた。
現在、3軒の宿しかないが昔ながらの建物を大切にし、
一つの同じ共同浴場に浸かりに行く文化を残すことで、入浴者の交流を深めている。
<受賞者コメント>
(栃尾又温泉・自在館 星 宗兵氏)
代々の湯守たちが湯を継承してくれたおかげで、たまたま私がこの場に居させていただけています。
ご先祖様のおかげです。私自身、湯守を大変だと感じたことはありません。
むしろどうやったらより良い温泉に入っていただけるのかと考えることがとても楽しいのです。
たまたま温泉が湧く家に生まれ落ちたわけなので選べる道でもないでしょう。
3宿が共同で一生懸命、湯を守っていきたいと思います。
<講評>
(審査員:石井 宏子氏)
新潟県の栃尾又温泉は、江戸時代から続く歴史のある湯治(とうじ)場です。
その湯を守り続けていることはもちろん、なによりも授かった温泉をいかに使うかという点、
その素晴らしさも選考理由になりました。
栃尾又温泉の泉質は放射能泉で、ラジウム泉とも呼ばれ、加温したり、循環したりすると気化しやすい成分です。
栃尾又温泉の湯船のなかにはパイプが巡らせていて、その中には温かい湯が通してあり、湯をうめることなく温めて、
湯船の中の感じる温度がすべて一定に保たれています。
35度のぬるい人肌の湯に入っていますとだんだんと無重力のような無の境地に誘われてきます。
そうした素晴らしい空間を工夫で創り出していることに感動いたしました。
これからも3宿が協力し合ってひとつの共同浴場の湯を守っていただきたいです。

<プロフィール>
1933年沖縄県生まれ
1958年 現在では沖縄唯一となる銭湯「中乃湯」を現在の地に移転・創業
1970年 仲村家に嫁ぎ、夫とともに「中乃湯」を経営。
1984年 夫が急逝。
2023年 新しいスタッフが参画。15年ぶりに夜の営業を開始。
<受賞者コメント>
(中乃湯 仲村シゲ氏)
「なんともいえないねー。ゆーふるやー(風呂屋)で、そんな大層なことをしたかなーと思うけどね~。
賞状は上等さー。最高な気持ち、最高さー。こんな素敵な賞をくださった、
湯道文化振興会の小山薫堂さんという方にお礼を言わないといけないね」
<講評/湯道文化振興会>
中乃湯は沖縄に一軒だけ残る日本最南端の銭湯です。
90歳になる仲村シゲさんは、50年近くおひとりで銭湯を守ってこられました。
沖縄の方言で「ゆんたく」と呼ばれるお客さんとのおしゃべりを日課とし、
ときには三線さんしんに合わせて歌をうたい、
仲村さんのお人柄によって地域の方々の体と心を温め、沖縄の銭湯文化を守り続けています。
2022

<概要>
出羽三山とは、月山・羽黒山・湯殿山の総称で推古元年(593)、第32代崇峻天皇の御子である蜂子皇子の御開山である。
出羽三山信仰は「三関三度」や「擬死再生」など、生まれ変わりの思想が今も尚息づいている。
羽黒山で現世利益の御神徳に与り、月山の大神の下で死後の体験をし、
慈悲深い湯殿の大神より、新しい生命を賜って、再び出生すると考えられている。
特に湯殿山での修行は三世を超えた大日如来を本地仏とする大山祇命・大己貴命・少彦名命の霊験により、
神仏と一体になり即身成仏を得ることが出来るとされた。
それ故に湯殿山は「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の霊場である。
<受賞者コメント>
(代理出席:出羽三山神社 参事 吉住 登志喜氏)
出羽三山は修験の山、山岳信仰の山です。西洋医学が入ってくる前、
「お湯」は、体のみならず、心を癒す最大の薬として用いられていました。
そして、名立たる修験の山には鉱山と温泉が不可欠でした。
修行で痛めた身体を癒したり、心身を清めたりする為に温泉は大切なものでした。
昔から「お湯」を崇める湯殿山はある意味「湯道」の原点かもしれません。
現在において「お湯」は日本人の心の拠り所になるべきものだと強く思っています。
先人たちが残してくれた歴史・伝統・文化を大事にし、
「お湯」を通して感謝と祈りを忘れる事無く重んじていく事こそ
コロナ禍を越えていく日本人が、又「湯道」というものが華開く道と考えます。
<審査員 講評>
(審査員:石井 宏子氏)
湯殿山神社は、聖域の中に湯を奉る素晴らしい場所です。
出羽三山の中では「未来を表す生まれ変わりの場所」として位置づけられており、
湯殿山神社本宮はその象徴です。
温泉に浸かると、「生きている水」である温泉と私たち人間の命の交換がされて、
自分自身が生まれ変わり、心身が清められるような気持ちになれます。

<プロフィール>
1935年東京都杉並区生まれ。師匠は叔父の故・丸山喜久男氏。
18歳の時に弟子入りし叔父のもとで背景画を学び25歳で独立。
最近では個人宅・店舗・病院・老人ホーム、個展開催、CMや映画、空港・区役所やホテル等の様々なイベント、
大学講演会、小学校の銭湯プロジェクトへの参加等に活動中。作品数は一万枚を超える。
<受賞者コメント>
銭湯絵師として60数年描いてきましたが、本当に私の人生、良い人生を送ったと思います。
「継続は力なり」という言葉を実践しようと思いますので、
これからも銭湯絵と共に噛み締めて生きていきたいと思います。
東京の銭湯がだんだんと少なくなるのを寂しく思っております。
どうかみなさんも銭湯に足を運んでもらえたら幸いです。
<審査員 講評>
(審査員:ステファニー・コロイン氏)
富士山のペンキ絵は、銭湯にとって大切なアイコンの一つです。
丸山先生は60年以上、銭湯にペンキ絵を描く事で、子どもから大人まで、多くの方を楽しませてきました。
また、銭湯でライブペインティングのイベントを行うなど、銭湯の文化をさらに広めてくださいました。
人生をかけた丸山先生の活動に感謝の気持ちを込めて、この賞をお贈りします。
入浴関連の道具や建物を制作するとともに、それらの国内外への魅力発信に寄与した個人・団体。
2024

<概要>
江戸初期(1615年)創業の京都の老舗綿布商。創業以前、織田信長公の御用商人として活躍し『永楽屋』の屋号と細辻の姓を拝領。その後、江戸時代初期の元和元年(1615年)に呉服(絹の着物)から太物(綿や麻の着物)へと転換し創業。現在では手ぬぐいや風呂敷などを始めとした日本最古の綿布商として京都にて十四代、400年以上にわたり商いを続けている。
<選考理由>
吸水性に優れ、速乾性もある木綿の手ぬぐいは、「湯手(ゆで)」と呼称されるほど、湯との結びつきが非常に深い工芸品である。永楽屋の手ぬぐいは江⼾時代から昭和初期にかけて時代の⽂化・⾵俗を映したデザインが多く、当時の染織技術によって歴史を伝えるメディアとしての側⾯も持つ。2024年1月に行われた湯道展では、江⼾から令和まで6つの時代に渡り、永楽屋が各時代の最⾼技術を結集し制作してきた風呂にまつわる芸術性の⾼い手ぬぐいを披露。いまも作り続けられる永楽屋の手ぬぐいはこれまでの風呂文化を現代に伝えるとともに、未来に継承することにも寄与している。
2023

<概要>
1908(明治41)年、三重県津市で創業。朧染タオル製造の特許を取得。
1927(昭和2)年に”ガーゼタオル”を製造・販売し現在に至る。
「タオル製造一貫作業工程」にこだわり、「一度使ったら忘れられない心地よい風合い」を実現している。
<受賞者コメント>
(おぼろタオル株式会社 森田 壮氏)
まさかこんな賞をいただけるなんていうのも夢にも思っていなかったものですから、
お話いただき従業員一同、本当に喜んでおります。
1908年に私の曾祖父でもあり日本画家でもあった森田庄三郎が
ヨコ糸だけが染まる〈おぼろ染め〉という特殊技術を開発し、以来115年、
多くの方の力を得て、日本の入浴文化に寄り添った形のものづくりをひたすら続けてこれたことに感謝しております。
これからも入浴文化の発展に寄与できるよう、ものづくりを続けていきたいと思っております。
<講評>
(審査員:杉本 圭氏)
講評/温泉カメラマン 杉本 圭氏
温泉を撮るという仕事に携わって20年以上が経たち、仕事柄、いろいろなタオルを使ってきました。
おぼろタオルの良さというのは、まず濡れることによって発色が良くなり鮮やかに模様が浮かび上がってくる。
そして驚くほどの吸水性が良く、乾きも早い。そして何より軽い。そうした素晴らしいタオルに敬意を表します。
2022

<プロフィール>
1968年 京都市生まれ。
中川木工芸は、初代亀一が老舗の木桶工房に丁稚奉公をしたことから始まる。
40年ほど勤めて独立、1961年、京都白川通りに中川木工芸を開く。
その後二代目、清司が京都工房を引き継いだ。
清司は2001年に国の重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けている。
2003年三代目、周士が滋賀県大津市に中川木工芸 比良工房工房を開いた。
近年、他の技法では表現が難しいデザイン性に富んだ革新的な作品の製作にも挑戦し、
日本国内のみならず海外からも高い評価を得ている。
<受賞者コメント>
桶屋の仕事の中で、湯桶を作るのは重要な仕事です。
祖父の頃は、六畳の部屋が畳から天井まで埋まるぐらい桶を作り、銭湯や温泉旅館に納めていました。
当時、京都市内で木桶を作る工房は200軒近くありましたが、今は数件ほどしか残っていません。
木桶の文化を遺していく取り組みの中で、海外にも視野を広げていこうと活動しています。
薫堂さんとのご縁から、新しい「湯道」のお道具を作らせていただきました。
酒器造りにも使われる“片口”の技法を用いて、ちょうど真正面から見ると、
口の尖った狐の顔のように見えるので「狐桶」と名付けました。
この度は栄誉ある賞をいただき、本当に光栄です。
<審査員 講評>
(審査員:杉本 圭氏)
湯桶は、銭湯にも温泉にも必ずあるものです。
そこで使い込まれてきた道具も含めて、ひとつの「文化」を形成していると思います。
道具を大切に使い続けていくこともまた、日本文化を継承していくことであります。
「狐桶」の素晴らしさは、一点に集約してお湯が落ちていくその美しさ。
今後も素晴らしい湯桶、そして日本文化を世界に発信し続けてください。
これまでにない発想や取り組みで、入浴に新たな価値を付加している個人・団体。
2024

<プロフィール>
妙法湯三代目店主。こんぶ湯の発案者。東京都公衆浴場業生活協同組合理事・広報副委員長、豊島区浴場組合支部長などを兼務後、東京都浴場組合広報委員副委員長を務める。第11回環境省グッドライフアワード実行委員会特別賞「環境と福祉賞」を受賞。
<選考理由>
こんぶは、肌によいだけではなく、杉の5倍も二酸化炭素を吸収することから、地球温暖化対策に非常に有効であると注目されている。そのこんぶと湯をかけ合わせ、地域の子どもたちや海外の方々に向けたSDGs教育を展開。きれいに洗ったこんぶを湯に浸ける「こんぶ湯」に浸かる体験をしてもらうことで、湯によって地域と地球の未来を救うことができるという新たな道筋を示した。使い終わったこんぶは、障がい者就労継続支援団体と協力して回収し、乾燥させ、茶畑の肥料として再利用するという。湯を中心に地域全体を巻きこんだ循環型の仕組みを作っている。
2023

<プロフィール>
1967年静岡市生まれ。92年武蔵野美術大学大学院造形研究科修了後、
アトリエ設計事務所に勤務。20代後半より風呂なしアパートに住み銭湯暮らしを始める。
近隣の銭湯を毎日利用しているうちに銭湯ファンとなり、都内各地の銭湯巡りを始める。
98年今井健太郎建築設計事務所設立後、銭湯/温浴施設を中心としリサーチ/設計/イベント企画などの活動を始める。
伝統的かつ現代に生きながらえる銭湯空間を提案し都内銭湯をはじめとする温浴施設の設計実績に繋げてきた。
著書に『銭湯空間』(KADOKAWA)がある。
<受賞者コメント>
(銭湯建築家 今井 健太郎氏)
「日本人が長く親しんできた銭湯という生活文化が廃れてしまうのはあまりにも勿体無い。
銭湯がある生活をもう一度現代に復活させ、そして未来につなげたい」と、
そのような思いから、銭湯に関わる設計活動をスタートいたしました。
そうした私どもの活動を評価していただき、また湯道文化振興会様の趣旨との共通性を
感じていただけたことを大変嬉しく思います。
今後も湯空間の設計を通じた私どもの活動が日本の湯文化継承、発展への貢献となるよう一層励んでまいります。
<講評/湯道文化振興会>
今井さんは東京都の「はすぬま温泉」、青森県の「桂温泉」、
山形県の「湯るりさがえ」など日本全国の温浴施設を手がけていらっしゃいます。
お風呂の地域固有の歴史、文化、気候風土などといった様々な背景を踏まえて、
湯の空間設計されていること。身体的なものだけでなく、
精神的にも何かとの一体的感覚を感じる場として捉えていらっしゃるところが「湯道」と合致しています。
創意工夫しながら、湯空間を設計されていることが受賞の理由となりました。
2022

<プロフィール>
1980年、東京生まれ。
昭和8年に創業し、国登録有形文化財に指定された老舗銭湯「小杉湯」の三代目。
住宅メーカーで勤務後、ベンチャー企業の創業を経て、2016年から家業の小杉湯で働き始める。
2017年に株式会社小杉湯を設立、2019年に代表取締役に就任。空き家アパートを活用した「銭湯ぐらし」、
オンラインサロン「銭湯再興プロジェクト」など、銭湯を基点にした繋がり、
また、さまざまな企業や団体とコラボレーションした独自の企画を生み出している。
2020年3月に複合施設『小杉湯となり』、2021年春には『小杉湯となり-はなれ』がオープン。
<受賞者コメント>
小杉湯は昭和8年に創業し、今年で89年目になります。
祖父が戦後新潟から出てきて、一生懸命働いてお金を貯めて小杉湯を購入し、銭湯を経営。
それを父が継ぎ、私は2016年に継承いたしました。
東京の多くの銭湯は上下水道が備わっていない時に作られておりますので、井戸水で経営をしております。
未だに小杉湯も豊富な井戸水のおかげで毎日経営ができていて、「湯道」の理念にあるように、
水への感謝や大地への感謝の気持ちを日々抱いております。
小杉湯としては銭湯を「ケの日のハレ」とし、日常の中で本当に小さな幸せが感じられ、
気付ける場所と定義しています。
「湯道」の心と共に、銭湯文化を続けていくように頑張っていきたいと思います。
<審査員 講評>
(審査員:ステファニー・コロイン氏)
平松さんは今までの銭湯にはなかった新たな取組みをたくさん行い、
若い世代の“銭湯ブーム”を牽引してこられました。
これからも小杉湯三代目として、若いパワーで銭湯を盛り上げていってほしいです。
「湯道」の精神理念に深く共感し、それを体現する個人・団体。
2024

<概要>
長崎県島原半島に位置し、「山の温泉」雲仙温泉と、橘湾沿いの小浜温泉、有明海に面したみずほ温泉といった「海の温泉」という、泉質の異なる多様な温泉が集まっている。国立公園第一号、長崎県国民温泉保養地第一号に指定されている。
<選考理由>
古くから「温泉」と書いて「うんぜん」と呼ばれるほど温泉とのつながりは深い土地柄。地元の人が入れる共同浴場の運営や、温泉の蒸気で調理する蒸し釜料理など、雲仙と小浜という特色の異なる2つの温泉を活用することで、まち全体で湯とともに生きる暮らしを体現している。湯道に共感し、湯道文化賞授賞式の開催を決定。地域の風呂文化と湯道を掛け合わせることにより、雲仙市の風呂文化をまち内外へ、ひいては、世界に発信していこうとしている。
2023

<概要>
フランスが京都府京都市に設置している総領事館。
1858年の日仏修好通商条約締結以来、総領事館うを日本国内に設置。
2009年それまで大阪市にあった西日本を管轄する在大阪・神戸フランス総領事館が
関西日仏学院内に移転。現在の総領事はサンドリン・ムシェ氏。
日本文化に精通し、湯道を理解くださり、2023年4月、関西日仏学館にて『湯道展』の開催に至った。
<受賞者コメント>
(在京都フランス総領事館 文化部長芸術部門主任 ジュリエット・シュヴァリエ氏)
2023年4月、関西日仏学館にて開催された『湯道展』に来場された方々に、
日本のみならずフランスの入浴文化をも伝えることができましたことを嬉しく思います。
日本にお風呂のための道具がたくさんあるということ、
その職人技や銭湯や温泉の建築物の美しさが印象に残っています。
フランス人の日本に対する関心は高く、来日するフランス人もますます増えています。
湯道を通じ日仏交流の発展も期待しています。
<講評>
(審査員:銭湯大使 ステファニー・コロイン氏)
私はフランスから15年前に来日し、日本固有の銭湯文化とそこに集まる人々の温かさに触れ、
この素晴らしい文化を広めたいという熱い願望を抱きました。
関西日仏学館での湯道展は、日仏の風呂文化の交流となり、湯道を世界に広げるきっかけづくりとなりました。
これからも日仏の風呂文化の交流ができることを期待しています。
2022

<プロフィール>
兵庫県姫路市出身。海軍兵学校を経て、1951年に能率風呂工業(現ノーリツ)を設立。
海軍兵学校時代の厳しい訓練後に許されたわずかな時間の入浴で心を癒した経験から、
「お風呂は人を幸せにする」という理念を掲げた。
石炭やまきで沸かす「五右衛門風呂」からガス釜への転換を成功させ、ガス給湯器大手メーカーへと発展させた。
<受賞者コメント>
(代理出席:株式会社ノーリツ 代表取締役社長 腹巻 知氏)
本日ご表彰いただいた創業者の太田敏郎は、残念ながら3年前に他界いたしました。
企業は、環境変化に合わせて変化し続けなければならない存在ですが、
創業の原点である「お風呂は人を幸せにする」という想いは、
決して変えてはいけない社員全員が大切にしている価値観です。
時代が変わり、提供価値や商材が変わっても、創業者の太田がこの会社・事業を立ち上げた時の想いに立ち戻り、
「今何ができるのか」を考え、あらゆる社会問題に果敢にチャレンジしたいと思います。
<審査員 講評>
(審査員:小山 薫堂氏)
私が太田敏郎さんの存在を知ったのは、「お風呂は人を幸せにする」というご著書でした。
戦後「能率釜」と出会い、「これが日本中の家庭にあったら…お風呂で人を幸せにすることができるんだ。」
という想いでいろんな苦難を乗り越えられたことが綴られています。
そして、現在の指一本でお湯が沸く装置を開発され、それが今の日本人にとっての“当たり前”となっています。
お風呂に入りながら、自分の中の感謝の気持ちを確認すると、
湯に対してだけではなく、沸かしてくれる給湯器や、
そのものを作ってくれた太田さんに対する想いが自然と浮かびます。