◆「湯道文化賞」とは
日本の入浴文化の保存・振興、そして、日常の入浴行為を「文化」へと昇華させることを目的とした表彰制度。
2022年に創設。5つの部門ごとに受賞者を選出いたしました。
表彰式 開催概要
日程:2022年11月3日(木)
場所:臨済宗大本山 大徳寺真珠庵
◆審査員
・小説家・エッセイスト/湯道文化振興会 理事 柏井 壽 氏
・温泉ビューティ研究家・トラベルジャーナリスト 石井 宏子 氏
・銭湯大使 ステファニー・コロイン 氏
・温泉カメラマン 杉本 圭 氏
・放送作家/湯道文化振興会 代表理事 小山 薫堂 氏
◆初代受賞者
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(1) 湯道文化賞:入浴を「文化」へ昇華するために、特に輝かしい功績を遺した個人・団体。
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【亀の井別荘 中谷 健太郎 氏】
<プロフィール>
1934年生まれ。東宝撮影所で助監督を務めた後、帰郷。
映画祭や牛喰い絶叫大会などユニークな取り組みを仕掛け、由布院のまちづくりを長くけん引。
亀の井別荘社長を経て、現在亀の井別荘相談役。
湯布院町商工会長や由布院温泉観光協会会長を歴任。
<受賞者コメント>
(代理出席:亀の井別荘4代目 中谷 太郎氏)
昭和40年代のはじめ頃、湯布院町はなにもない村でした。
そこに、薫平さんや父、皆がガムシャラに文化をつくってきた姿を近くで見てきました。
あれから50年近く経ち、多くのお客様にお越しいただけるようになり、こうして賞までいただけて感無量です。
私の使命は、由布院を大事に受け継ぎ、さらに喜んでいただける場所に仕立て、次の代に渡すことだと思っています。
いただいたお言葉と賞を持ち帰り、今後の繁盛・発展に向けて努力いたします。
【由布院 玉の湯 溝口 薫平氏】
<プロフィール>
1933年、大分県九重町生まれ。
日田市立博物館勤務を経て、66年「玉の湯」旅館経営に参加。玉の湯社長を経て、現在代表取締役会長。
長年にわたる由布院のまちづくり運動に対し、02年国土交通省の「観光カリスマ」に選出されたほか、
82年のサントリー地域文化賞をはじめ数多くの賞を受賞。05年旭日小綬章受章。
<受賞者コメント>
(代理出席:由布院 玉の湯代表取締役社長 桑野 和泉氏)
豊かな環境を保ち、皆さんを温かくお迎えしたいという想いで、健太郎さん、父たちはずっと走ってきました。
自分たち住民だけではなく、訪れる人たちも一緒になって作っていく・・・
それがここならではの文化に繋がっているのだと思っています。
また、今回の受賞によって、「次の世代へ『湯道』の精神を伝えていく」、という使命感をいただきました。
「湯道」の考え方や想いは、日本が世界に誇れることだと思います。これから海外のお客様も増える中で、
日本の良さをより実感していただくためにも「湯道」の精神を伝えながら、皆様をお迎えしたいです。
<審査員 講評>
(審査員:柏井 壽氏)
かつて、温泉は大型温泉旅館などの享楽的な施設が主流でした。
そんななか、中谷健太郎さん・溝口薫平さんは、由布院を「文化の香り」がする独特の温泉地に作り上げ、
今日の日本における、情緒あふれる温泉宿文化の礎を築かれました。
さらには、現在も後継者を育て、その文化を紡ぎ続けていらっしゃいます。
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(2) 湯道特別賞:長年、入浴文化の発展を支え、文化を築いてきた個人・団体。
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【出羽三山 奥宮 湯殿山神社 本宮】
<概要>
出羽三山とは、月山・羽黒山・湯殿山の総称で推古元年(593)、第32代崇峻天皇の御子である蜂子皇子の御開山である。
出羽三山信仰は「三関三度」や「擬死再生」など、生まれ変わりの思想が今も尚息づいている。
羽黒山で現世利益の御神徳に与り、月山の大神の下で死後の体験をし、
慈悲深い湯殿の大神より、新しい生命を賜って、再び出生すると考えられている。
特に湯殿山での修行は三世を超えた大日如来を本地仏とする大山祇命・大己貴命・少彦名命の霊験により、
神仏と一体になり即身成仏を得ることが出来るとされた。
それ故に湯殿山は「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の霊場である。
<受賞者コメント>
(代理出席:出羽三山神社 参事 吉住 登志喜氏)
出羽三山は修験の山、山岳信仰の山です。西洋医学が入ってくる前、
「お湯」は、体のみならず、心を癒す最大の薬として用いられていました。
そして、名立たる修験の山には鉱山と温泉が不可欠でした。
修行で痛めた身体を癒したり、心身を清めたりする為に温泉は大切なものでした。
昔から「お湯」を崇める湯殿山はある意味「湯道」の原点かもしれません。
現在において「お湯」は日本人の心の拠り所になるべきものだと強く思っています。
先人たちが残してくれた歴史・伝統・文化を大事にし、
「お湯」を通して感謝と祈りを忘れる事無く重んじていく事こそ
コロナ禍を越えていく日本人が、又「湯道」というものが華開く道と考えます。
<審査員 講評>
(審査員:石井 宏子氏)
湯殿山神社は、聖域の中に湯を奉る素晴らしい場所です。
出羽三山の中では「未来を表す生まれ変わりの場所」として位置づけられており、
湯殿山神社本宮はその象徴です。
温泉に浸かると、「生きている水」である温泉と私たち人間の命の交換がされて、
自分自身が生まれ変わり、心身が清められるような気持ちになれます。
【銭湯絵師 丸山 清人 氏】
<プロフィール>
1935年東京都杉並区生まれ。師匠は叔父の故・丸山喜久男氏。
18歳の時に弟子入りし叔父のもとで背景画を学び25歳で独立。
最近では個人宅・店舗・病院・老人ホーム、個展開催、CMや映画、空港・区役所やホテル等の様々なイベント、
大学講演会、小学校の銭湯プロジェクトへの参加等に活動中。作品数は一万枚を超える。
<受賞者コメント>
銭湯絵師として60数年描いてきましたが、本当に私の人生、良い人生を送ったと思います。
「継続は力なり」という言葉を実践しようと思いますので、
これからも銭湯絵と共に噛み締めて生きていきたいと思います。
東京の銭湯がだんだんと少なくなるのを寂しく思っております。
どうかみなさんも銭湯に足を運んでもらえたら幸いです。
<審査員 講評>
(審査員:ステファニー・コロイン氏)
富士山のペンキ絵は、銭湯にとって大切なアイコンの一つです。
丸山先生は60年以上、銭湯にペンキ絵を描く事で、子どもから大人まで、多くの方を楽しませてきました。
また、銭湯でライブペインティングのイベントを行うなど、銭湯の文化をさらに広めてくださいました。
人生をかけた丸山先生の活動に感謝の気持ちを込めて、この賞をお贈りします。
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(3)湯道創造賞:これまでにない発想や取り組みで、入浴に新たな価値を付加している個人・団体。
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【小杉湯 平松 佑介 氏】
<プロフィール>
1980年、東京生まれ。
昭和8年に創業し、国登録有形文化財に指定された老舗銭湯「小杉湯」の三代目。
住宅メーカーで勤務後、ベンチャー企業の創業を経て、2016年から家業の小杉湯で働き始める。
2017年に株式会社小杉湯を設立、2019年に代表取締役に就任。空き家アパートを活用した「銭湯ぐらし」、
オンラインサロン「銭湯再興プロジェクト」など、銭湯を基点にした繋がり、
また、さまざまな企業や団体とコラボレーションした独自の企画を生み出している。
2020年3月に複合施設『小杉湯となり』、2021年春には『小杉湯となり-はなれ』がオープン。
<受賞者コメント>
小杉湯は昭和8年に創業し、今年で89年目になります。
祖父が戦後新潟から出てきて、一生懸命働いてお金を貯めて小杉湯を購入し、銭湯を経営。
それを父が継ぎ、私は2016年に継承いたしました。
東京の多くの銭湯は上下水道が備わっていない時に作られておりますので、井戸水で経営をしております。
未だに小杉湯も豊富な井戸水のおかげで毎日経営ができていて、「湯道」の理念にあるように、
水への感謝や大地への感謝の気持ちを日々抱いております。
小杉湯としては銭湯を「ケの日のハレ」とし、日常の中で本当に小さな幸せが感じられ、
気付ける場所と定義しています。
「湯道」の心と共に、銭湯文化を続けていくように頑張っていきたいと思います。
<審査員 講評>
(審査員:ステファニー・コロイン氏)
平松さんは今までの銭湯にはなかった新たな取組みをたくさん行い、
若い世代の“銭湯ブーム”を牽引してこられました。
これからも小杉湯三代目として、若いパワーで銭湯を盛り上げていってほしいです。
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(4)湯道工芸賞:日本の伝統工芸分野において、入浴関連の道具や建物を制作するとともに、
それらの国内外への魅力発信に寄与した個人・団体。
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【中川木工芸 中川 周士 氏】
<プロフィール>
1968年 京都市生まれ。
中川木工芸は、初代亀一が老舗の木桶工房に丁稚奉公をしたことから始まる。
40年ほど勤めて独立、1961年、京都白川通りに中川木工芸を開く。
その後二代目、清司が京都工房を引き継いだ。
清司は2001年に国の重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けている。
2003年三代目、周士が滋賀県大津市に中川木工芸 比良工房工房を開いた。
近年、他の技法では表現が難しいデザイン性に富んだ革新的な作品の製作にも挑戦し、
日本国内のみならず海外からも高い評価を得ている。
<受賞者コメント>
桶屋の仕事の中で、湯桶を作るのは重要な仕事です。
祖父の頃は、六畳の部屋が畳から天井まで埋まるぐらい桶を作り、銭湯や温泉旅館に納めていました。
当時、京都市内で木桶を作る工房は200軒近くありましたが、今は数件ほどしか残っていません。
木桶の文化を遺していく取り組みの中で、海外にも視野を広げていこうと活動しています。
薫堂さんとのご縁から、新しい「湯道」のお道具を作らせていただきました。
酒器造りにも使われる“片口”の技法を用いて、ちょうど真正面から見ると、
口の尖った狐の顔のように見えるので「狐桶」と名付けました。
この度は栄誉ある賞をいただき、本当に光栄です。
<審査員 講評>
(審査員:杉本 圭氏)
湯桶は、銭湯にも温泉にも必ずあるものです。
そこで使い込まれてきた道具も含めて、ひとつの「文化」を形成していると思います。
道具を大切に使い続けていくこともまた、日本文化を継承していくことであります。
「狐桶」の素晴らしさは、一点に集約してお湯が落ちていくその美しさ。
今後も素晴らしい湯桶、そして日本文化を世界に発信し続けてください。
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(5)湯道貢献賞:「湯道」の精神理念に深く共感し、それを体現する個人・団体。
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【株式会社ノーリツ創業者・名誉会長 故・太田 敏郎 氏】
<プロフィール>
兵庫県姫路市出身。海軍兵学校を経て、1951年に能率風呂工業(現ノーリツ)を設立。
海軍兵学校時代の厳しい訓練後に許されたわずかな時間の入浴で心を癒した経験から、
「お風呂は人を幸せにする」という理念を掲げた。
石炭やまきで沸かす「五右衛門風呂」からガス釜への転換を成功させ、ガス給湯器大手メーカーへと発展させた。
<受賞者コメント>
(代理出席:株式会社ノーリツ 代表取締役社長 腹巻 知氏)
本日ご表彰いただいた創業者の太田敏郎は、残念ながら3年前に他界いたしました。
企業は、環境変化に合わせて変化し続けなければならない存在ですが、
創業の原点である「お風呂は人を幸せにする」という想いは、
決して変えてはいけない社員全員が大切にしている価値観です。
時代が変わり、提供価値や商材が変わっても、創業者の太田がこの会社・事業を立ち上げた時の想いに立ち戻り、
「今何ができるのか」を考え、あらゆる社会問題に果敢にチャレンジしたいと思います。
<審査員 講評>
(審査員:小山 薫堂氏)
私が太田敏郎さんの存在を知ったのは、「お風呂は人を幸せにする」というご著書でした。
戦後「能率釜」と出会い、「これが日本中の家庭にあったら…お風呂で人を幸せにすることができるんだ。」
という想いでいろんな苦難を乗り越えられたことが綴られています。
そして、現在の指一本でお湯が沸く装置を開発され、それが今の日本人にとっての“当たり前”となっています。
お風呂に入りながら、自分の中の感謝の気持ちを確認すると、
湯に対してだけではなく、沸かしてくれる給湯器や、
そのものを作ってくれた太田さんに対する想いが自然と浮かびます。