背中
お風呂の幸せ作文コンクール 「雲仙市賞」受賞作品
ある日の入浴中、娘から「洗ってあげようか?」と言われた。
好奇心旺盛な5歳の娘は「誰かの体を洗う」という行為に興味を持ったらしい。
正直なところ自分で洗った方が早いのだが、こうした提案は受け入れておかないと
後々不機嫌になってしまう可能性が高い。折衷案として、背中だけ洗ってもらうことにした。
普段は「出しすぎないでよ」「あそんじゃだめ!」と言われているボディソープを
小さな手に多目に出してあげると、それだけでどこか嬉しそうだった。
手のひらを擦り合わせて泡をたて、私の背中側にまわる。
「背中」とこちらから部位を指定したことで、ある種の使命感が芽生えたのだろうか。
おしゃべり好きでいつもは黙っている時間の方が短いぐらいなのに、
泡のついた両手で、懸命に私の背中に大きく円を描き続けていた。
背中を誰かに洗ってもらうことが、こんなに穏やかで、心が洗われるような感覚になるのか。
心地よさのあまり、私の背中は自然と丸くなる。
なんとも言えない感動と幸福を感じていると、母と銭湯に行った日のことが急に頭に浮かんだ。
番頭さんが立っているような昔ながらの銭湯が近所にあり、母とよく二人で利用していた。
なぜだかある日、私は思いつきで「背中洗ってあげるよ」と母に声をかけたのである。
おそらく高校生ぐらいだったように思う。
急な提案に母は少し戸惑いつつ「じゃあ、お願いしよかな」と言って、泡のついたボディタオルを私に差し出した。
そこまで丹念に洗ったわけでもないのだが、洗い終えてからも「ホントに気持ちよかった」というようなことをボソボソと言っていた。
「ちょっと背中を洗ったぐらいで大袈裟な」とそのときは思っていたが、あれはきっと心の底から感じたことだったのだろう。
そういえば、娘が生まれてから母とは長らく銭湯に行っていない。
次に帰省したときには、久しぶりに母を銭湯に誘ってみよう。
そして、今度は丁寧に丁寧に背中を洗ってあげよう。